レッズに生じたひずみは今後何をもたらすのか。

 ペトロビッチを情熱的に信奉する人を除いて、ネット界隈で話題となっているのが、福岡線の後半、監督の指示ではなく、選手独自の判断でスタイルを代えた、ということ。前半はロングボールを蹴って田中達也マゾーラを裏に走らせるパターンが多かったのが、後半になり各選手がポジションをブレイクさせながらボールを回し、先制点もこれまでには見られなかった鈴木啓太の飛び出しによるものだった。本当の所は分からないし、これからも明らかになることはないと思う。ただ、後半になって中盤の選手が前線に顔を出す頻度が増えたのは確かだし、それはこれまでペトロビッチが志向してきたサッカーとは明確に異なるものだった。僕もあれは選手自身の判断により行われたスタイルの変更だったのだと思う。
 だけど本来これはあってはならない事態だ。監督の指示ではダメだから選手たちが勝手に判断してプレーして、しかも勝ってしまったと。これでは監督の立場がない。ペトロビッチのサッカーではJリーグでは勝てない。これは個の突破力を生かした戦術がダメだといっているのではない。個を生かすためにどういうアプローチをすればいいのか。ペトロビッチはここの部分が致命的なんだ。「情熱」ではその指導力のなさをカバーできないんだ。それでも、選手が監督のやり方を否定して試合をしていたらそれはチームとしての体をなしていないことを意味する。福岡戦で勝てたのは相手が福岡だったから。負けたとき、その責任は選手に押し付けられることになるが、そもそも選手だけで戦術プランを構築することにムリがあるわけで。選手同士で意見を出し合うのは良いけど、それを吸い上げてバランスを調整して整備するのが監督の仕事だ。後ろから選手が飛び出すのは良いけど、そのリスクマネジメントをどうするのか、それを考えるのも監督の仕事だ。そもそもそれがペトロに期待できないってのが致命的なんだけれども。
 選手の判断でサッカーをしているってことは、悪い言い方をすれば選手の反乱、選手の暴走ってことになる。それをコントロールできない監督およびチームフロントは総じてカスなわけ。そんなチームは外からどんな眼で見られるか。今は、いいんだ、ペトロがダメでフロントもだめ、選手が頑張ってようやく2勝目を挙げたという眼で見られる、たぶん。でも勝てなかったら、選手たちは監督を無視して自分勝手なサッカーをやってるから勝てない、というレッテルを貼られてしまう。選手たちも失格の烙印が押されてしまう可能性があるんだ。監督もダメ、フロントもダメ、選手もダメ、そんなチームってどうよ。オファーが来てもそんなチームには行きたくないし、逆に他のチームからすれば監督を無視して身勝手なプレーをする選手は必要ないってことにならないか? 新監督を招聘するとなったときに、選手の判断で戦術を変更するチームで仕事をする気になるのか? 話が飛躍しすぎているのは自分でもわかっているけど、選手、監督、フロントが自分たちのやるべきことをしっかりと遂行する、本来あるべき姿に戻すことが今のレッズには必要なことなんじゃないだろうか。